言葉の線引きって難しい

友達のブログ

 

 

これを引き合いに出すのはどうかと思ったんだけど・・・

基本的に私は病名を付けるのは好きではない

 

それは病名を付けることで

やはり差別や区別ができるからだ

 

本当は差別と区別は違う

 

それを理解している人が

どれだけいるだろうか?

 

病名が付くことで

本人や周りが安心するっていうのも

わかる気がするんだけど

やはりこの世界は

自分と違うものや違うことは

排除する性質がある

 

だって、こばねぇのブログにあるような事は

実は私や私の旦那さんにも当てはまる

 

こばねぇの講座を一番最初に受けた時

「旦那さんがそうではないか」と思って

受けたのだ

 

でも、講座を受けた時に

「あれ?もしかして私もそうなの?」

と思い始めた

 

なぜなら大人になるまで

ずっと自分は「人と違うのかもしれない」と

思って生きてきたから

 

多分、大なり小なり

「人と違う事」って誰にでも当てはまる

 

だって、同じ人間は一人としていないから

 

もちろん、白黒はっきりさせたほうが

楽になる人もいる

 

だからそれは否定はしない

 

ただね・・・

楽になってその後

楽になっただけなら意味がないと思ってる

 

気持ちが楽になって

その人がちゃんと生きやすくなったのなら

それで正しかったのかもしれない

 

でも、気持ちだけ楽になって

「自分は他人と違うんだ」

「うちの子は他人と違うから」と

他の人と共存することもせずに

社会から取り残されてしまったら

意味がない

 

この世の中で生きるために

自分を探しているのは

何も病名が付いた人達ばかりではない

 

自分の事がわからずに

自分探しを続けている人は実は多い

 

旦那さんはそんなことを

気にもせずに生きてきたし

私はずっと占いやら数秘やらを学んで

自分自身を知ることができた

 

自分がもし「他人と同じだ」と

思っている人がいるなら

それこそ勘違いだ

 

誰一人、自分と同じ人間はいない

 

そして人の成長はそれぞれ違う

大人になっても成長していない人もいる(笑)

 

病名というやつは

自分と他人を線引きする

 

それで安心することなく

自分の事を理解してほしいと思う

 

病名が付くのは

最初の一歩に過ぎないのだから

 

本当に必要なのは

その後自分がどう生きるかで

それ(病名)を免罪符にするためではない

 

それ(病名)を乗り越えて

たくさんの人と関わることができて

周りもそこ(病名)にこだわらずに

生きていける世界ができればいいと思う

 

理想だと言われようと

思い続けなければ

世界は変わらない

 

こばねぇの活動は

「そういう人がいるんだよ」

「そういう時にはこうしたらいいんだよ」って

教えてくれる

 

特に子供の事を理解できずに

苦しんでいるお母さんには

同じように大変だったことを

共有したり話すことで

安心する場所ができるんじゃないかと思う

 

そういう人がもし周りにいるのなら

一度、どんな形でもいいから

相談してみたらいいと思うのです

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です